私の教室歴
中3までピアノをやっていた、というと、教則本的には【そこそこのところ】まで進んでいたのだろうと思われるのかもしれませんが、全くもってそんなことはないのです。
ヤマハの先生
小2の春休み前だったかと思います。
クラスのお友達がピアノを習っていると聞き、私も同じ教室で習いたい!と親にお願いしたのが始まり。
習い始めたのは春休み明けの小3からで、その頃にはクラス替えでその友達とはすっかり疎遠となり、その子がいつまでそのピアノ教室にいたのか覚えていません。というか、すぐにいなくなったような気がします。
子どもの足で、自転車で15分程かかる場所にあった団地の一室に、その教室はありました。
どういうレッスンをしてもらっていたかは覚えていませんが、ピアノはヤマハのアップライトだった事は確かです。
最初はうちにピアノがなかったからだと思うのですが、こちらが右手、こちらが左手ですよ、から始まる幼児向けのテキスト?で、リズム打ちとか音階の読み方から始めてくださったような気がします。
(ピアノは父の賞与支給月である7月に買ってもらったような?)
当時の私は小3です。
左右くらい流石にわかるなしんどいな……と思ったのは記憶にあります。
そのテキストと同じか分かりませんが、この教室ではメトードローズ(上下巻)を使っていました。
「近所で趣味で習うお稽古」レベルではバイエルが主流の時代でした。
(ガチ勢でもバイエルやってた所もあるのかもしれませんが、ガチ勢の世界を私は知りませんww)
他の教室に通っている同級生達の間では、バイエルの何番やってるの?みたいな会話が繰り広げられていましたが、私はそこに全く参加できませんでした。
でも、それが私には良かったんだと思います。
他の子と進度を比べようがなかったので、誰々と比べられて傷ついたとか、劣等感にさいなまれるみたいなエピソード(何故かネガワードしか出ないww)は私には皆無です。
ま、そもそもスタートがだいぶ遅めなので、誰かと比べられて~みたいなのは、ピアノをやめる時まで一切ありませんでした。
とにかく優しく、若くて可愛い系の先生で、きっと素直じゃなかったであろう私を根気よく面倒みてくださいました。
メトードローズの他は、子供のためのソルフェージュをやっていたのは記憶にあったのですが。
大人になり電子ピアノを買った私に実家から送られてきた昔の楽譜に、
バーナムの導入書や、
サブバイエルなる物
も混ざっており、どちらの本も全く記憶になかったので驚きました。
電子ピアノを買うと決めて、じゃあどんな教則本があるのかなって楽譜売り場を覗いた時に手に取ったバーナムを広げて、
「わー。こんなペラペラの楽譜でも効率的な練習ができる教則本が現代にはあるのねー。羨ましいわー。」
なんて思ったのは、
無駄な感動
だったんだと気付き、自分の記憶のなさに痺れたのでありました。
閑話休題。
教室に不満はなかったはずですが、私が1人で暗い時間に交通量の多い道を通うのを母が心配したのか、それに加えて私自身が自転車で15分位かかる距離がしんどくなったのか、どんな理由だったのかは覚えてはいませんが、5年生あたりからは、母がみつけてきた家から自転車で1分という近所の教室へと変わりました。
カワイの先生
新しい教室の先生の本業は声楽。
それもあってか防音室完備の一軒家でした。
私が受けたグレード試験みたいのがカワイのだったので、カワイ音楽教室出身の先生だったのでしょうか。
因みに新しい先生の教室はグランドピアノで、カワイの物でした。
セレブ感漂う優しい先生で、ヤマハの先生の時もそうでしたが、叱られた記憶は一つもありません。(記憶がないだけだと思いますけど(笑))
ただ、私に子供なりの基礎力があればそうはならなかったのでしょう。
「バイエルやってないの?じゃあバイエルやらなきゃね。」
みたいな流れで、メトードローズの下巻が終わり間近だったところを中止し、バイエル上巻の真ん中あたりからスタートしたのには、教則本の進み具合に達成感を得る平凡な子供だった私にとって、ちょっと堪える出来事でした。
バイエルを上巻からというのはきつく感じましたが、結果やって良かったんだろうなと、なんとなくですが思います。
バイエル以外に使った教則本は、
ピアノのテクニック
ツェルニー100番
いやはや……ツェルニー100番も全く記憶がないのですよ!
当時の先生の書き込みを見ると、飛ばしながらですが84番までやってたのに、です!
一曲に何週間もかかってたことがあるので(というか、一発OKはほとんどなかった模様)、どんなに少なく見積もっても1年以上は使っていたはずなのに。
そしてお馴染みブルグミュラー25の練習曲
曲名が付いているからでしょうね、この本自体はよく覚えているのですが、曲そのものは他の曲集で練習したアラベスクしか記憶になかったという……。
この記事だけで、「記憶にない」と何回書いたことでしょう。
30年以上経っているせいか、本当に記憶にないことだらけです。
前の教室で始めたソルフェージュの本も、1aが終わったら1bみたいに、記憶の限りではずーっとやっていたような気がします。
音感なんて全く身についてないですけどね(汗)。
先生の本業は声楽だからか、奏法的な事を教わった記憶はなく(多分教わったんだとは思いますが記憶ry)、曲を歌わせることを重視するようなレッスンだった印象です。
全く歌わせることはできませんでしたけどね(汗)(汗)。
先生の指導どおりに強弱をつけたりすると「いいわよ!」なんて盛り上げてくださったので、そういうのは頑張ってた気がします。
で、中3の秋頃にやめた時に使っていた教材はごっそり捨ててしまったので、最後に何の本で練習していたのかはわかりません。
なぜ捨ててしまったのか、こちらもはっきりとした記憶はないのですが、やめた時に使っていた教材は、ピアノの足下のファイルボックスにまとめて置いてあった為、それらはピアノに対して何の思い入れもない母にとっては邪魔な物でしかなく、ピアノを辞めて数年経った頃に、「捨てるよ~?」と聞かれ、もう弾く事もないだろうしなと思った私は捨てることを承諾し、一掃されたのであろうと思います。
でも、ハノンとツェルニー30番はやっていたんだと思います。
ピアノのテクニックを終えた後に使った本の一曲目が、「ド ミ ファ ソ ラ ソ ファ ミ」だったのは強烈に覚えていて、
「え、これ、ピアノのテクニックと何が違うの?」
と思ったのが、きっとハノンだったんだと思います。
そして、何かの本を終えた時、また同じ名前を冠した教本がスタートし、その時にその教本がこの先も延々と続くと知った記憶はあるので、それは、今となってはツェルニー100番を終えて、ツェルニー30番にうつった時の記憶なんだと思います。
「100番の次は30番なんですか?」
と問う私に、
「そう。30番の次は40番、50番、60番と続くのよ。」
と先生が教えてくださり、うわー。果てしねーと当時の私は思ったんでしょうね。
他にも何かやってたんでしょうが……ない記憶はこれ以上掘り起こせられないという(笑)。
ピアノは好きだったんです。
でも、手が小さい私はオクターブが上から掴めません。
中学生の頃、カワイの先生に、オクターブがちゃんと届かない場合どうしたらいいかと聞いたら、指と指の間の水かきみたいのを切る方法があると教わりましたが、趣味でやるレベルでメスを入れるなんて考えられません。
そして中3。技術的に難しい曲は手が届かなそうだし、高校受験もあるしで、ピアノは好きだったけれど「潮時かなぁ」って、習うのをやめたのでした。
とまぁ、上達のためのスキル面でいえばいい先生だったのかどうか、今となっては(当時としても)わかりませんが、楽しくピアノに触れることができたのは両先生のお陰である事は確かで、感謝しかありません。